お車人生10年目。
やりたいことをやりたいようにやってきた自分であるが、多大なる時間とお金を消費してきたなと改めて思う。
それらを一つ一つ思い出して時たま思い出に浸るけれど、今のうちにそういうことを一つのアーカイブとしてNETの海に投下しておきたい。
言ってしまえばデジタルなタイムカプセル、クラウド。
だれでも見れてしまうけど。
その第一弾でFC3S編を記録しようと思う。
時は平成24年、2012年ごろ。
高校生の免許取り立ての頃に父親の知り合い経由で引っ張ってきたFC。これが僕の最初の愛車。
エンジンの調子が微妙で40万でOHしてもらった。
※2023年現在は150~200万くらいらしいね。OHするの。
元鈴鹿ナンバーでわりと上物だった。
見ての通り距離も若い。
完全な2シーターで、シートはボロボロだったので部品取りのGT-Xのものを移植して乗っていた。内装含めてすごく気に入っていた。
ロールケージが通っており、足回りのショックが半分死んでいた。
でもなぜか当時の自分は足のリフレッシュより先に1.5WAYのクスコのデフを先に組んだ。オイルが固いからかバキバキにチャタリング音がしていた。
高校生の僕は学校が終わったらすぐに帰宅して着替えてFCのエンジンかけてドライブしに行った。免許取ってからはもう毎日これだった。
一人で。時には友達乗せて。当時の彼女を乗せて。。。
ある日、駅前近くの自転車屋に用があったのでその近くの小道にFCを路駐して店舗に入り用事を済ませて出て来ると警察が2名FCのそばに立っていた。
何を聞かれるのかと警戒するも
「お兄さんの車、窓空いてますよ、危険だから気を付けてね」
という話だけだったというヒヤッとした経験も。。。
運転に慣れたころ、夜な夜な出かけて峠道を走った。
某漫画の影響でとにかく峠を走りたかった。いろんなところに出かけたが、山の温泉街へ続く高湯峠という峠道を特によく走っていた。
その峠のふもとでFD乗りの人と知り合ったり、
高校の友人がインテグラDC2を納車したから一緒に走りに行ったり。。。
当時はちょうどスマホが出たばかりのころでSNSもそこまで発展してなかったし、mixiだとかデコログだとか2chだとかそういうものがNETの最先端だったのでそういう車を見るとフランクに話しかけるのが当たり前であった。
FCに乗り出して3ヶ月ほどたったころ
DC2を買った友人の先輩である、MR-Sに乗るM先輩と出会う。
それからはよくみんなで峠に遊びに行った。
サイドターンを教えてもらったり走り方を教えてもらったり楽しい日々が続いた。
これが続けば今でもFCに乗っているのだろうが、ある日、上りの峠道でアクセルオン時にアンダーを出してFCの右側面、フロントからリアまで当ててしまう事件をおこしてしまった。
幸いそこが土手だったのでぐちゃぐちゃにはならずに済んだが自分の実力の無さを痛感した。本当に悔しく思ったのを覚えている。
若いからと言えばそれまでだが、妙に恥ずかしかったしなにより悲しい気持ちだった。
これ以上この大事なFCを壊したくないと強く思った自分は、自分できちんと直すために倉庫にFCを保管することを決意。
その間に運転自体もうまくなりたいと強く思うようになり練習機を探すことに。
この経験がのちほど最も記憶に色濃く残る車との出会いにつながった───